イタリアの歴史は、古代ローマ帝国の繁栄から中世の都市国家の発展、そして近代の統一国家の形成まで、長く壮大な道のりを辿ってきました。
この歴史は、ヨーロッパ文明の発展に大きな影響を与え、芸術・文化・政治の面で世界に多大な貢献をしてきました。
アウグストゥスは死の間際、
「私は役をうまく演じきれたと思わないか。この芝居がお気に召したら拍手喝采を」
と語り、自らの人生を劇に例えたと言われています。
西ゴート族の王アラリックがローマを略奪した際(410年)、彼は略奪中もキリスト教徒として教会や聖職者を保護するよう命じました。
このため、一部の宗教施設は被害を免れ、略奪行為に「配慮」が見られるという珍しい状況が生まれました。
476年の西ローマ帝国滅亡は、同時代の人々にはそれほど重要視されませんでした。
当時、東ローマ帝国が存続していたため、「ローマ」という概念自体が完全に終わったとは認識されていなかったのです。
北イタリア諸都市が皇帝の圧政に対抗するため結束した「ポンティーダの誓約」があります。
これにはミラノやヴェネツィアなど多くの都市が参加し、自治と自由を守るため一致団結しました。
ダンテの『神曲』は、ダンテが地獄、煉獄、天国を巡る旅を描いたイタリア文学最大の古典といわれる長編叙事詩です。
作中では、悪魔たちに追いかけられた時、先生がダンテをだっこして猛スピードで堤を滑り降り、危機を脱するなど面白いシーンもあります。
ルネサンス期のイタリアで活躍した政治思想家・外交官。
失脚して仕事を失ったマキャベリが、『君主論』を書いた理由は「暇つぶし」だったとも言われています。
後にこの本が歴史的影響を与えるとは思っていなかったようです。
1860年10月、ガリバルディはサルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と会見し、南イタリアの統治権を無条件で譲渡しました。
この会見は、共和主義者ガリバルディが国王に忠誠を誓う劇的な場面として知られています。
ムッソリーニはスポーツ万能で、剣術や乗馬などに優れていました。
特にスキーや水泳も得意で、ヒトラーのような内向的な性格とは対照的に、活動的で自信家だったといわれています。
この国民投票は、イタリア史上初めて女性が投票権を行使した選挙でもありました。
イタリアでは「女性の日」(フェスタ・デッラ・ドンナ)のシンボルとしてミモザの花が選ばれました。